2013年5月18日土曜日
技術革新と効率化による既存者と新興者の対立について
→製造業に3Dプリンターや3Dデータでの試作や量産化が増えていくと、今まで苦労して古い技術で製造してた人にとっては「自分が持つスキルやノウハウが無価値になる」という恐怖が出てくると思います。
既存者にとっては従来のスキルやノウハウは既得権として高収入の源泉ですから、それが無価値化すると困るので抵抗は凄そうです。
製造業の分野だと3Dデータ制作と試作品を3Dプリンターで出力出来るハードルが下がっていけば、量産自体は海外工場で出来ますから効率的ですね。その分、国内で既存の製造スタイルを長年やってる技術者や作業者にとっては産業空洞化&リストラの恐怖だけが増えていくのかもしれません。
http://nkbp.jp/11M2xCj
>3Dプリンターはものづくりのハードルを低くする道具としては、とても有効であることは間違いありません。
ただし、批判を恐れずに言ってしまうと、ものづくりに限らず何かのハードルを下げるという際に、良くも悪くも必ず障害になるのは、以前からやっていたという古株の先輩たち。「ものづくりはそんなに甘くない!」とか「3Dモデルデータをモデリングするのはとても敷居が高いし素人に無理」という上から目線の物言いが多く見受けられます。
また「そんな誰でもできるような簡単なことはFabではない」という言い方をする人もいるようで、ネットの書き込みなどを見るとちょっとがっかりします。いわゆるITパワハラのようなことをすることで、自己顕示欲を満たすような方も少なからずいます。
3Dの黎明期から苦労をしてきた人も多いと思いますが、その経験こそが、これからものづくりをしてみたいと思う人たちの裾野を広げる貴重な情報になるはずです。オープンソースで情報を共有し、誰もが気軽にものづくりを楽しめる環境を作るには、まずは様々な面倒なハードルを下げることが、とても大切だと思っています。
最初は、既にある3Dモデルデータをダウンロードして3Dプリンターで造形体験をするということから初めても、ものづくりをしてみたいという人の裾野を広げていく可能性があるわけですから、ここはひとつ、諸先輩方もこれからものづくりをはじめようとする人たちを温かく見守りつつ、先導していって欲しいと思います。その広がりが、いずれはまた新しいビジネスの創出につながると確信しています。
リアル商売からネット商売への移行はどこまで進んでるんだろう?
→よく年配の方と話をしてると出てくる話題なのですが「ネットが普及してても今だに大型店舗もあるしフリーペーパーや新聞・雑誌は存在している。実際はネットがリアルを駆逐するなんてことはないんじゃないの?」という部分。
現状を十年前と比べてみると、完全にはネットに移行してるというよりも、リアル商売で淘汰されてるものは少ないようです。
ただ店舗ごとの売上を考えると、十年前よりは低下してるようには思います。
例えば必需品や低価格品については昔も今も近くの店舗(大型スーパーやコンビニ)で買いますが、嗜好品や限定品のようなものはネット経由で注文することも多そうです。
書籍でいえば、コンビニで売ってる書籍は一般的なものが多いですが、専門書籍が買える書店は減ってるようです。その手の書籍はamazonやヤフオク等で購入してる人が多いのかもしれません。
十年前はパソコンでのネット利用が主流だったので、パソコンを操作できない人はリアルで買うしか選択肢がなかったですが、現在はスマホ&タブレットが普及して高性能化している途中なので、同じ商品でもネットorリアルを比較して買える機会も増えてると思います。
あと十年後になれば、スマホ&タブレットは数千円代(又はネット回線契約で無料化)が当然になり、ネット回線も月額1000円前後で高速回線を利用できるようになってるかもしれません。
そうなると、よほどすぐに必要なもの以外はネット経由の方がコストパフォーマンスが高い買い物ができそうです。
案外見過ごされがちな点ですが、現在小中学生がスマホ&タブレットを当然として利用してる状況の先には、成人して消費者層になる人の大半がネットでの情報収集や商品購入をしていく未来かもしれませんね。
現状を十年前と比べてみると、完全にはネットに移行してるというよりも、リアル商売で淘汰されてるものは少ないようです。
ただ店舗ごとの売上を考えると、十年前よりは低下してるようには思います。
例えば必需品や低価格品については昔も今も近くの店舗(大型スーパーやコンビニ)で買いますが、嗜好品や限定品のようなものはネット経由で注文することも多そうです。
書籍でいえば、コンビニで売ってる書籍は一般的なものが多いですが、専門書籍が買える書店は減ってるようです。その手の書籍はamazonやヤフオク等で購入してる人が多いのかもしれません。
十年前はパソコンでのネット利用が主流だったので、パソコンを操作できない人はリアルで買うしか選択肢がなかったですが、現在はスマホ&タブレットが普及して高性能化している途中なので、同じ商品でもネットorリアルを比較して買える機会も増えてると思います。
あと十年後になれば、スマホ&タブレットは数千円代(又はネット回線契約で無料化)が当然になり、ネット回線も月額1000円前後で高速回線を利用できるようになってるかもしれません。
そうなると、よほどすぐに必要なもの以外はネット経由の方がコストパフォーマンスが高い買い物ができそうです。
案外見過ごされがちな点ですが、現在小中学生がスマホ&タブレットを当然として利用してる状況の先には、成人して消費者層になる人の大半がネットでの情報収集や商品購入をしていく未来かもしれませんね。
2013年2月11日月曜日
日本から自動車産業が無くなった未来への対策
→下記のことは現実的にありえると思います。
大気汚染問題も広がってますから、その原因になるガソリン車を縮小(主に税率アップ等で割高になる)する代わりに電気自動車を宅配スクーター的なサイズで作りそうです。原理的輸送コスト的に一人乗り自動車はコスパ高いですね。
しかも電気自動車としてモジュール化していけば、パソコンや液晶テレビみたいに「新興国でパーツ製造&組立して船便で輸入」「日本ではBTO自動車の組立のみ」になって価格破壊は凄くなりそうです。
※液晶テレビだって40型が2004年は40万円前後→09年は15万1100円→12年6万5500円と急激に下落しています。
そうなると日本国内から製造工場(及び部品工場や素材工場)が激減し、それにともなって工場の海外移転で雇用や地域消費は縮小する流れになりそうです。
開発部門等は日本に残るでしょうが、そこで生まれる雇用・消費は極小です。
ちなみに一人乗り電気自動車であれば、メンテも家電感覚になるので板金工場的な所や自動車ディーラーはamazonや家電量販店(電気製品だから)と競合していくかもしれません。
そう考えていくと、地域商売も今後どのように展開するかを考えてやっていく必要はありそうです。
家電産業だけでなく自動車産業まで国内消失すれば、炭鉱の閉鎖された街みたいな現象は起こるので。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130211
>車は二つの要因で大きく変わる。ひとつは、ガソリン車が電気自動車になるという流れ。もうひとつは、4-5人乗りが一人乗りになるという流れ。
日本においては、高齢化がどんどん進む。電動車いすを使う人も増える。上の画像の一人乗り電気自動車って、実はそれと似てるでしょ。電動車いすの雨よけに、簡易屋根を付けたらまったく同じじゃん?
しかも家だって一人暮らし世帯が急増してるのに、車だけいつまでも4-5人乗りのままのはずがない。
>新興国だって同じ。中国にしろフィリピンにしろベトナムにしろ、大都市の大気汚染はもう極限的にひどくて、ちきりんは旅行にさえ行きたくないくらいなんだけど、これらの国で、まだまだこれから自動車が本格普及するのだとしたら、それが全部ガソリン車だなんてありえない。
しかも彼ら、ものすごい人口ですからね。今の先進国みたいに、5人乗りの自動車に平均2人も乗ってないみたいな状態で車を走らせるのって、エネルギー的にも超無駄。
いろんな意味で、1人乗り、2人乗りの自動車って極めて合理的。
>しかも車のコストはメチャ安くなる。今みたいな手作り自動車じゃなくて、小さな電気自動車なら、各部品をモジュールで作って組み立てるだけだから、新興自動車会社が雨後の竹の子みたいに現われる。
一台の価格も10万円どころか、数万円になってくる可能性さえある。そうなればインドやフィリピンなどはもちろん、アフリカの最貧国でも個人が自動車を買えるようになる。
そういう時代になるでやんすよ。「車が100万円?? マジですか?? 冗談でしょ??」って、次世代の若い子にびっくり顔で聞かれる時代が、すぐにやってくる。
※地域から基幹産業が無くなると雇用・消費も減りますが、一番やりそうなのは行政が無理して公共投資してハコモノを作りまくったり観光地化すること。維持費を負担出来なくなって泥沼化は必至。
http://bit.ly/155niaa
>昭和35年(1960)当時、市民に「佐世保の基幹産業は何ですか」と聞くと、多くは「石炭と造船」と答えたであろう。それ程、佐世保及び北松の町村では石炭産業が盛んで、地域の経済を支えていた。市内だけで30余りの炭鉱があり、労働者も4,000名近かった。それが13年後には炭鉱も労働者もゼロになってしまった。
この短い期間に一体何が起こったのか。
その原因は石炭から石油への世界的なエネルギー革命と海外からの安い石炭の輸入増にある。
2013年1月24日木曜日
今当たり前だと思ってる消費行動が、今後も続くとは限らない感じがします
→例えば冠婚葬祭だって「補助金が無くなった公共事業」みたいに「ご祝儀&香典という(私的補助金)が縮小したら」施行スタイル自体が変わりそうです。
※婚礼アルバムだと製本する予算が無くなれば「撮影データをSNS上で共有して友達のコメントやタグが一杯で永久保存」が主流で製本(需要が減るので制作費が二倍)する人は極一部になるとか
また電子化やネット通販化&ネット販促化が進んでいけば、関連する業態も変わるでしょうし、小売店が海外から輸入する商品だらけになるみたいに「専門技能や業務代行は海外からネット経由で輸入する」のが当然になったら、国内で関連業務をしてる人は仕事が無くなります(百均で品質が十分な人は百均で買い物を済ますみたいに)。
今の10代が消費の中心になる頃には「車が必要な用事はカーシェア or 宅配で済む」とか「ファッションや雑貨は無関心になり、その代わりにスマホグッズやSNS上の電子アイテムを消費して自己表現欲求を満たす」なんてことも想定されます。
※そもそも所得が減少していくので、アナログよりも割安なデジタルで済ますから
現在の日本の生活レベルは経済に支えられてるので、それが縮小すれば新興国の生活パターン(富裕圏or貧民窟)に近づいていくとか(世界の生活圏がフラット化)
これからの十年って1年が今までの三倍以上の進化スピードになるでしょうから、消費や業態がどのように変化していくのかが気になりますね。
http://bit.ly/140CQLM
>俺「音楽はスマホで聴くの?」
小「うん、スマホならどこでも聴けるもん!」
俺「まぁそうだけど…ユーチューブじゃ音悪くない?」
小「んん?でもすぐ聴けるし、私はこれでいいかなー」
俺「え、だからそれじゃ音悪いし、歌詞カードとかもないじゃん!」
小「私は音楽が聴きたいの。音が悪くても良くても私には関係ないし、音楽だけ聴ければいいの。」
なん…だと…。
>小学校五年生の女の子一人の意見だけど、音楽に対する意識というものがここまで違っているとは全く思ってなかった。この子にとっては音楽とは、蛇口をひねれば出てくる水道の水のような感覚なのだ。それが本来は貴重な資源であるということは普段一切考えない。そんな感じがした。
CDを買わない理由には、おこづかいとか物理的なモノもあるだろう。
親御さん、スマホは持たせるのにCDは買ってくれないっていうのもアレだが……。
もうなんかわけわからんくて絶望した。
江戸時代の人間がちょんまげをしていない現代人を見て「なぜまげをしていない?」と質問しているような感覚。
音楽にお金を払って聞くという価値観が存立していない状況であった。虚しさに震えた。
こうした子供達が将来大きくなって、今の音楽コンテンツに夢を求めて投資をしてくれる日はくるのだろうか。この感覚の違いは数年経てばいくらかは埋まるモノなのだろうか。
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