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2013年1月24日木曜日

今当たり前だと思ってる消費行動が、今後も続くとは限らない感じがします


→例えば冠婚葬祭だって「補助金が無くなった公共事業」みたいに「ご祝儀&香典という(私的補助金)が縮小したら」施行スタイル自体が変わりそうです。
 ※婚礼アルバムだと製本する予算が無くなれば「撮影データをSNS上で共有して友達のコメントやタグが一杯で永久保存」が主流で製本(需要が減るので制作費が二倍)する人は極一部になるとか

 また電子化やネット通販化&ネット販促化が進んでいけば、関連する業態も変わるでしょうし、小売店が海外から輸入する商品だらけになるみたいに「専門技能や業務代行は海外からネット経由で輸入する」のが当然になったら、国内で関連業務をしてる人は仕事が無くなります(百均で品質が十分な人は百均で買い物を済ますみたいに)。
 
 今の10代が消費の中心になる頃には「車が必要な用事はカーシェア or 宅配で済む」とか「ファッションや雑貨は無関心になり、その代わりにスマホグッズやSNS上の電子アイテムを消費して自己表現欲求を満たす」なんてことも想定されます。
 ※そもそも所得が減少していくので、アナログよりも割安なデジタルで済ますから
 
 現在の日本の生活レベルは経済に支えられてるので、それが縮小すれば新興国の生活パターン(富裕圏or貧民窟)に近づいていくとか(世界の生活圏がフラット化)
 
 これからの十年って1年が今までの三倍以上の進化スピードになるでしょうから、消費や業態がどのように変化していくのかが気になりますね。


http://bit.ly/140CQLM

>俺「音楽はスマホで聴くの?」
 小「うん、スマホならどこでも聴けるもん!」
 俺「まぁそうだけど…ユーチューブじゃ音悪くない?」
 小「んん?でもすぐ聴けるし、私はこれでいいかなー」

 俺「え、だからそれじゃ音悪いし、歌詞カードとかもないじゃん!」
 小「私は音楽が聴きたいの。音が悪くても良くても私には関係ないし、音楽だけ聴ければいいの。」

 なん…だと…。


>小学校五年生の女の子一人の意見だけど、音楽に対する意識というものがここまで違っているとは全く思ってなかった。この子にとっては音楽とは、蛇口をひねれば出てくる水道の水のような感覚なのだ。それが本来は貴重な資源であるということは普段一切考えない。そんな感じがした。

CDを買わない理由には、おこづかいとか物理的なモノもあるだろう。
親御さん、スマホは持たせるのにCDは買ってくれないっていうのもアレだが……。

もうなんかわけわからんくて絶望した。
江戸時代の人間がちょんまげをしていない現代人を見て「なぜまげをしていない?」と質問しているような感覚。

音楽にお金を払って聞くという価値観が存立していない状況であった。虚しさに震えた。
こうした子供達が将来大きくなって、今の音楽コンテンツに夢を求めて投資をしてくれる日はくるのだろうか。この感覚の違いは数年経てばいくらかは埋まるモノなのだろうか。